インドネシア関連小説『人間の大地(上)』読書レビュー

人間の大地 上巻 読書レビュー

インドネシアの小説を読んでみたいなーと思ってるんだけど……。
なにかおすすめありますか?

ジョグジャ先生

そんなあなたには、インドネシア政府が現在も発行を禁じている小説であるプラムディヤ・アナンタ・トゥールの小説はいかがでしょうか?

お!なんだか、気になります!
ぜひ詳しく教えてください。

目次

本の紹介『人間の大地(上)』

概要

『人間の大地』は、1969年から10年間流刑地ブル島に勾留され、表現手段を奪われたプラムディヤが、同房の政治犯にそのストーリを日夜語って聞かせたという、途方もないスケールの4部策の第1部です。

舞台は1898年から1918年にかけてのオランダ領東インドで、インドネシア民族が覚醒し、自己を確立していく長い闘いを描いた、これはいわばインドネシア近代史再構成の物語といえます。

1980年、同書が発行されると、インドネシアの人々は熱狂してこれをたたえ、初版1万部が12日間で売れるという空前の評判を呼びました。

当時の副大統領アダム・マリクは、彼らの親や祖父たちがいかに植民地主義に敢然と立ち向かったかを理解するために、この『人間の大地』を読むよう若い世代に奨励すべきである、との推薦の辞をよせ、またある評者は、この本はこれまでに出たすべての歴史書の存在を無意味にしてしまうとまで激賞した。

余りの影響力に驚いたインドネシア政府は本書『人間の大地』第2部『すべての民族の子』第3部『足跡』を発禁処分とし、現在もその処分は解けていない

しかし、海外での評価は高まるばかりで、世界各国で翻訳発行されており、昨年1998年もノーベル賞候補に挙がっている。

著者『プラムディヤ・アナンタ・トゥール』さんについて

プラムディヤ・アナンタ・トゥール(Pramoedya Ananta Toer, 1925年2月6日 – 2006年4月30日)は、インドネシアの小説家。

スハルト政権下では同国の9月30日事件に関与したとして長く流刑生活を余儀なくされたが、同政権の崩壊後に釈放された。執筆活動の再開を期待されたが、2006年に死去。

50以上の作品を発表し、42以上の外国語に翻訳されている。

歴史

プラムディヤは1925年、ジャワ島の中心部Bloraで一家の長男として生まれた。

父親は教師で、母親は米を売る仕事をしていた。本名はPramoedya Ananta Mastoerで、『Cerita Dari Blora』という半自伝的短編集に書かれている。父の名であるMastoer姓は貴族的すぎると感じられたため、ジャワ語の接頭辞「Mas」を取り去り、「Toer」を姓とした。プラムディヤはスラバヤのラジオ専門学校で教育を受けた後、日本がインドネシアを占領していた時代にジャカルタで日本の新聞社のタイピストとして働いた

1945年8月17日以降、インドネシア独立時にはジャワ島の軍事グループに参加し、終戦時にはしばしばジャカルタに駐留した。軍歴を通じて、また1948年と1949年にジャカルタでオランダ軍に投獄されていた間も、短編小説や本を執筆。1950年代には文化交流プログラムの一環としてオランダに滞在し、インドネシアに戻ってからはインドネシアの左翼組織のひとつであるLekraのメンバーとなった。汚職の罠にはまったpamong prajaをフィクションで批評した作品『Korupsi』に見られるように、この時期に彼の文体は変化した。これはプラムディヤとスカルノ政権との間に軋轢を生んだ。

この時期、彼は中国系インドネシア人に対する迫害を研究し始め、同時に中国の作家たちと親密な交流を持つようになった。特に、インドネシアにおける中国の歴史を論じた中国人作家との往復書簡シリーズ『Hoakiau di Indonesia』を出版した。プラムディヤは、インドネシアの他の地域のニーズや要望のためにジャワ島中心の政府を軽視する評論家であった。そのため、政府をジャワ島の外に移すべきだと提案したことで有名である。1960年代、彼は親共産主義的な中国観のためにスハルト政権に拘束された。彼の著書は出版禁止となり、ジャワ島沖のNusakambangan、最終的にはインドネシア東部のBuru島に裁判なしで拘留された。

植民地時代に3年間、旧体制時代に1年間拘留されたほか、新体制時代には、プラムディヤは裁判なしの政治犯として14年間を過ごした(1965年10月13日~1969年7月、1969年7月~1969年8月16日Nusakambangan島、1969年8月~1979年11月12日Buru島、1979年11月~12月21日Magelang)。

『Bumi Manusia(邦題: 人間の大地)』と題された有名な一連の作品は、インドネシアのナショナリズムの発展を年代順に描いたインドネシアの歴史を描いた4つの半フィクションであり、その一部は彼自身の成長体験に由来している。

主人公のミンケはジャワの小貴族で、植民地運動家であり、Sarekat Prijaji組織と提唱のための公式メディアであるMedan Prijajiを創設したTirto Adhi Soerjoの経験を反映している。彼の最初の一冊は、Buru島を訪れる客を通して密輸された原稿を執筆する機会を得る前に、Buru島のWanayasa第3部隊の同僚に口頭で届けられた。

プラムディヤは1979年12月21日に拘禁から解放され、法的無罪と9月30日運動への不関与を証明する書簡を受け取ったが、1992年までジャカルタで軟禁され、1999年まで市中逮捕と国による拘禁を受け、約2年間は東ジャカルタのKodimに週1回出頭しなければならなかった。

この間、プラムディヤは自身の祖母の体験を基にしたもうひとつの半フィクション小説『Gadis Pantai』の執筆を完成させた。また、娘のために書いたが送ることを許されなかった文章をもとにした自伝『Nyanyi Sunyi Seorang Bisu』(1995年)、『Arus Balik』(1995年)も執筆した。Nyanyi Sunyi Seorang Bisu』の完全版は英訳もされている。

プラムディヤは、現インドネシア政府を批判する多くのコラムや短い記事を書いていた。彼は『Perawan Remaja dalam Cengkraman Militer』という本を書いたが、これは日本統治時代に慰安婦にさせられたジャワ人女性たちの憂鬱なドキュメンタリーである。全員がブル島に連行され、そこで性的虐待を受け、そこで暮らすことになり、ジャワ島には戻ることができなかったという。プラムディヤは、1970年代にブル島で政治犯として収容されていたときに、その存在を知った。

彼の著作の多くは、オランダ人、ジャワ王政、ジャワ一般人、そして中国人の間の異文化交流をテーマとしている。また、プラムディヤの著作の多くは半自伝的なものであり、自身の経験を語っている。1995年Ramon Magsaysay賞ジャーナリズム・文学・創造的コミュニケーション芸術部門受賞。ノーベル文学賞の候補にも挙がっている。また、世界文学への貢献が認められ、2000年に福岡アジア文化賞、2004年にノルウェー作家組合賞を受賞。1999年には北米旅行を終え、ミシガン大学から表彰された。

感想

この本が特に面白いと感じたのは、オランダ領時代のインドネシアにおける原住民(ジャワ人)とオランダ人、あるいは中国人などの様々な異人種、異文化が交わった世界を半フィクションの形式で原住民の目線で語られていることです。

そこには、やはり、政治的な狙いを持った出来事や難しさを抱える純愛、家族内での人間関係。
100年前の史実を題材にしたとはいえ、現代に生きる私にも情景や感情が容易に想像され共感を生むシーンも数多く展開されます。

人間はおうおうにして、片思いに走りすぎるのだ……。

この言葉。から始まるこの小説。

ミンケという名の聡明な原住民の青年が、植民地時代において、新時代(モデルン)という世界での、”自由”を手に入れるため、多くの”思い”のしがらみに対峙するストーリーは、平和な世界に生きている私を奮い立たせてくれました。

インドネシアの植民地時代の原住民視点での思いを知ることや、その世界のしがらみを知る上でもとても興味深い小説だと思います。

小説に登場する場所・史実

Tirto Adhi Soerjo

人間の大地の主人公”ミンケ”のモデル。

Tirto Adhi Soerjo(Raden Mas Djokomonoとして中部ジャワ州Blora県Cepuで1880年生まれ-Bataviaで1918年12月7日に37歳または38歳で死去)は、インドネシアの報道関係者、国民的覚醒者であり、インドネシアの全国紙とジャーナリズムの先駆者としても知られる。彼の名前はしばしばT.A.S.と略される。

Tirtoは新聞Soenda Berita(1903-1905)、Medan Prijaji(1907)、Putri Hindia(1908)を発行した。

Tirtoはまた、H.Samanhoediの創設したSarekat Dagang Islamに対抗する組織としてSarekat Dagang Islamiyah(SDI-ah)を創設した。Medan Prijajiは、インドネシア語を使用し、創刊から印刷、出版、ジャーナリストまですべての労働者が生粋のインドネシア人であったことから、最初の全国紙として知られている。

Tirtoは新聞をプロパガンダの道具として、また世論の形成者として初めて利用した。彼はまた、当時のオランダ植民地政府に対する痛烈な批判をあえて書いた。最終的にTirtoは逮捕され、ジャワ島から連れ去られ、Halmahera(北マルク州)近郊のBacan島に亡命した。流刑を終えたTirtoはBataviaに戻り、1918年12月7日に死去した

読者の声

今からたかだか100年ほど前、インドネシアがオランダ領だった時代の物語。
最初は何の物語だかよく分からなかったが、読む進むうちにごく自然に、植民地で生まれ生きることの理不尽さが心に染み込んでくる
そういうことを、若い青年の目線で淡々と描いている。
最高の教養を身に着け、資産を築き上げようとも、下等で無教養で人間以下としか見なされない
主人公の青年も、先生からつけられたニックネームが屈辱的な意味なのでは、と何年も経ってから気づく。
この上巻で「裁判」というキーワードが出てくるので、きっと下巻は主人公が裁判で闘う展開になるのだろう。
翻って我が国、日本。
明治維新以後、短期間で欧米列強に劣らない国力を備え、欧米にならって植民地を持とうとした。
同じアジア人が宗主国になってしまったばかりに、歴史問題が今になってこんなにこじれるのではないかと思えてくる。
今、インド人が巨大IT企業のCEOになり、アジア諸国の方が列強という言葉に相応しい存在となり、反対に欧米諸国が落日の如く自壊していく。
世界史は現在ヨーロッパ中心主義だが、あと100年くらいしたらアジア中心になり、「かつて欧米は栄えた時代があった」と記されるかも知れない。
日本はどちら側として書かれるだろうか。
日本の首相がアジア外交に注力するのは大切なことだと思うが、ゆめゆめ、上から目線にならないようにと、願うばかりである。

一言で言うと、オランダに負けたインドネシアの知識人の気持ちがとてもよく分かる本です。スラバヤの高等学校の生徒でブタウィ(現ジャカルタ)知事の息子ミンケが、オランダ人男性の現地妻(ニャイ)とその息子・娘と関わりを持ち、ニャイの知識と態度に敬服し、娘と恋に落ち、息子からは恨まれるという物語。ただ、面白いのはストーリーよりもミンケとフランス人画家・ジャン、父母、オランダ人副理事官の娘たちとのやりとり考え方です。例えば母親とはこんな会話が。
「・・・(前略)で、いったい何になるつもりです?それはもちろん、高等学校を出れば、何にでも好きなようになれるでしょうけれど」
わたしくは、命令することもされることもない、自由な人間になりたいだけです、母上
「え?そんな時代が来るのですか?初めて聞きましたよ、そんなこと」

上巻ではまだミンケは自分たちプリブミより西洋を上に見ているところがありますが、今後の展開がとても楽しみです。

最後に

『人間の大地』上巻の紹介はいかがでしたでしょうか?

インドネシア人の妻を持つ私個人としては、一部主人公の気持ちやその恋人アンに共感する部分が多く、とても引き込まれるストーリーが展開される上巻でした。下巻を読むのが楽しみです。

インドネシアに住まれている方やインドネシアが好きな方にぜひ読んでもらいたい一冊です。

こちらのブログではインドネシア関連の本を他にもたくさん紹介していますので、ぜひチェックしてみてください。

人間の大地 上巻 読書レビュー

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