ジョグジャカルタって、本当にたくさんの伝統的な技術や文化が残っていて……
今回は、そんな伝統的な技術の一つ。銀細工、フィリグリーについて紹介させてください。
ジョグジャカルタの伝統工芸は、こんな感じでいっぱいあります。
銀線細工 フィリグリー(filigree) とは?
フィリグリーとは、細い銀や金のワイヤーをねじり、編んでロープ状にする技法です。
職人の中には、ロープとワイヤーを円筒形のままにしておく人もいますが、ねじった後に圧延機を使って平らにする人もいます。
ロープは、平らにするかしないかにかかわらず、極細のピンセットを使って、コイル状やジグザグ状など、好きな形に撚られ、後に用意した金や銀の枠の隙間を埋めるために使われる。その後、ホウ砂と非常に細かい金や銀の粉を混ぜたものを使って、作品をはんだ付けする。
フィリグリーは、銀や金で非常に小さな球体を作り、それをジュエリーにはんだ付けするグラニュレーションと組み合わせて使われることもあります。グラニュレーションは、美的価値を高めるために人気がありますが、ハンダ付け箇所や接合部を隠すために戦略的に使用されることもあります。
Tokopediaでも以下のような商品が販売されています。
銀細工とジョグジャカルタの歴史
ジョグジャカルタの南東エリアにコタ・グデ(kotagede)というエリアがあります。
コタ・グデは、1575年、新マタラム王国の創始者パネンバハン・セノパティが宮殿を構えた場所です。
新マタラム王国は、強大なボロブドゥール寺院やプランバナン寺院を建てた古代マタラム王国の支配者の直系であると主張しています。1680年、コタ・グデはマドゥラからの軍隊に略奪され、マタラムの宮殿は東に移り、最初はカルタスーラに、次にソロ川のほとりの現在のスラカルタ(ソロ)に移りました。
狭い路地が迷路のように入り組んでいて、小さな伝統的な銀細工の店やモザイクタイルの家が並び、かつては貴族や王侯商人の住まいでした。
この地区は、現在、ジョグジャの銀細工産業の中心地として最も有名です。
銀細工の工房がいくつもあり、銀細工師が銀を美しい芸術品に仕上げていく様子を見ることができます。
コタゲデの銀細工職人は、コタゲデがマタラムの首都として設立されて以来、成長しました。
その間に、伝統的な銀、金、銅の産業が発展し始め、レプセ(エンボス)技法を用いたものが主流となりました。
この地域の製品は、王家の家庭用品や儀式用具の必要性を満たすものでした。
1930年代の植民地時代には、コタゲデで銀細工や銀の手工芸品が盛んになりました。オランダの植民地政府は、コタゲデの銀細工を保護しました。
1950年頃、スラウェシ島の職人の影響を受け、フィリグリー技法がコタゲデに伝わりました。
今では、エンボス加工を生かした銀細工、フィリグリー加工を生かした銀細工、どちらもインドネシア国内で有名となっています。
こちらは、ジョグジャカルタの銀細工職人の技術を扱われている日本のジュエリーショップです。
このエリアでは、銀細工の作成を体験できるワークショップが人気です。
先日、私もワークショップに参加して指輪を作成してきました。
※今度、別記事で紹介します。
最後に
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ご覧いただいたとおり、ジョグジャカルタには、郊外にも観光都市があります。
また、伝統的な文化や芸術がいまもなお、多く受け継がれています。
ぜひ、ジョグジャカルタについての別記事も参考にしてください。