今回は、なんと私の友人が、インドネシア初のプロ野球チームを作ったとのことで、応援投稿です。
ぜひ今後スポンサー探しやクラウドファンディングみたいなものも予定しているとのことで、応援にご協力いただければと思います。
アジア ゴールデン ラークス とは?
代表を務める福原佑二氏、香月良仁氏(取締役副社長・元ロッテ投手)、山下翔一氏(株式会社ペライチ取締役会長)、インドネシアやスリランカで約20年間、ナショナルチームや州代表チームの監督などを務めた野中寿人氏(現NEOアジアプロ野球機構代表理事)らが集い、発展途上国での野球発展を願い今回のチーム設立が実現した。東南・西・東アジアとの経済、国際発展も架け橋の担い手としても活動していく。
野中寿人 | プロ野球機構代表理事 |
福原佑二 | 球団社長 |
香月良仁 | 球団副社長 (元ロッテ投手) |
Pradita Satya Ananda | 球団理事 |
選手紹介
Rizki Ranadhan 選手 (リズキ・ラマダン)
チームのキャプテンを務める。
ポジション: 外野手(センター)
Muhammad Akbar
ポジション: 投手(右投げ)
Aditya Muflih Mahmud
ポジション: サード
Rizki Jodyansyah Ramadhan
愛称: キューピー
ポジション: セカンド
Ranjani
ポジション: 外野手(レフト)
Diva Reza Fabil
ポジション: ショート
Charis Hamdani
ポジション: キャッチャー
Roy Oktaviano
ポジション: 投手(右投げ)
Jose Fernando Christian Alessandro
ポジション: 投手(左投げ)
Arif Budi Wibowo
ポジション: 外野手(ライト)
Faldy Akhmad Zulfikar
ポジション: キャッチャー
Nazrey Lazuardi
ポジション: 外野手(センター)
Hadi Nur Muhammad
ポジション: 投手(右投げ)
Tony Pribadi
コーチ
Pradita Satya Ananda
コーチ、球団理事
野中寿人さんとは
日大三高野球部2年の夏にレギュラーとなり、3年の夏(1979年)に西東京代表にて全国高校野球選手権大会(甲子園)へ出場されました。
2023年6月現在は、東南アジア初のプロ野球チーム『アジア ゴールデン ラークス』の監督を務められています。
過去には、インドネシア、スリランカをはじめとする東南アジアの野球に多くの貢献をされ、現在も多くの取り組みを実施されています。
2001年 | インドネシア、バリ島に移住し硬式野球倶楽部バリレッドソックスを創設。 |
2006年 | バリ州代表チーム監督に就任。 |
2007年1月 | インドネシア高校総体に参戦し総合4位に入る。 |
2007年4月 | 外国人初となるインドネシア代表ナショナルチームの監督に就任。 |
2007年12月 | 東南アジア競技大会に出場。宿敵、東南アジア王者であるフィリピン代表ナショナルチームに「1-0」で惜敗し、惜しくも3位(銅メダル獲得)入賞。 |
2008年 | 江本(エモやん)氏と山崎拓氏(元副総理大臣)からの支援協力を獲得 |
2009年5月 | 第8回アジアカップにインドネシア代表ナショナルチームを率いて参戦。 インドネシア野球史上初となるアジアカップ制覇という偉業の達成。 |
2009年7月 | 第24回アジア選手権大会成田ラウンドに出場し、長野、菅野らを擁する日本代表ナショナルチームと対戦し、選手全員を試合に投与し無失策記録を樹立。 |
2010年 | 国内地方州への野球の確立と底上げ、また幼年期の野球の基礎の徹底がインドネシア野球の発展にとって重要と判断し、自らインドネシア代表ナショナルチームの監督を辞任。 |
2011年3月 | 東ジャワ州代表チーム監督に就任。 |
2011年7月 | インドネシア国体予選大会では東ジャワ州代表チーム野球史上初の決勝進出へ導き国内準優勝をもぎ取る。 |
2012年6月 | インドネシア国体前哨戦では地方州による悲願の優勝を達成し東ジャワ州代表チームの向上を国内に示す。 |
2012年9月 | インドネシア国体本戦大会でも同様に東ジャワ州代表チーム史上初の銅メダル。 |
2013年4月 | 少年野球における正しい動作指導を目標に定め、東ジャワ州スラバヤにて次世代のインドネシア代表選手の育成に務めるべく3ケ月半の強化練習でチームを編成、その内2名を東ジャワ州高校国体代表チームに輩出。 |
2014年5月 | インドネシアアマチュア野球連盟会長はじめ国内の多くの選手たちからインドネシア代表ナショナルチーム監督への復帰要請を受け受諾。 自ら資金獲得の動きをも牽引し、インドネシア国内日系企業約120社を個別訪問をし支援金を獲得。 |
2015年5月 | 第11回東アジアカップ(東南アジアと香港地区)への参戦を果たし準優勝。 |
2015年9月 | 台湾の台中市で開催された第27回アジア選手権大会へ出場。 |
2017年6月 | 外国人初となるインドネシアアマチュア野球連盟ハイパフォーマンスディレクターに就任。 |
2018年 | インドネシア国家青年スポーツ省野球アドバイザーに就任 |
2019年4月 | スリランカ代表ナショナルチームの監督に就任。 |
2019年7月 | スリランカでおこなわれた第14回西アジアカップに参戦し優勝。 |
2020年3月 | インドネシア一般国民体育大会へ出場するジャカルタ特別州代表チームの監督に就任。 |
2023年 | 財団法人『NEOアジアプロ野球機構(Yayasan neo asia professional bisbol)』の設立。 東南アジア初のプロ野球チーム『アジア ゴールデン ラークス』の設立。 |
私が所属しているジョグジャカルタの野球サークルにおいても、野球のバットの支給をしていただき、活動の素晴らしさを目の当たりにしました。
最後に
最後まで読んでいただきありがとうございます。
僕自身も小学校2年から高校3年まで11年間やっていた野球。
野球から学んだことはたくさんあり、それを国を渡って、ゼロから作られてきた20年以上の活動が、こうしてプロ野球チームの設立という形にいたって、私も調べている中で、とてつもない功績とインドネシア、東南アジアの野球の明るい未来を想像しました。