ジョグジャカルタ特別州
ジョグジャカルタ特別州(Special Region of Yogyakarta)、通称DIY(Daerah Istimewa Yogyakarta)は、インドネシアの州レベルの自治州のひとつである。
州都はジョグジャカルタ。
この地域の名前はジョグジャカルタ特別州であり、特別州としての地位もある。
特別地域としての地位は、インドネシア共和国の独立宣言の前後における県の歴史に関係している。
名前の由来・成り立ち
Babad Gianti(ババド・ジャンティ)によると、ジョグジャカルタは、パク・ブウォノ2世(Paku Buwono II)(1719~1727年のマタラム王)がガルティタワティの迎賓館の名前を置き換えるためにつけた名前だという。
Yogyakartaの名前はYogya yang kerta、繁栄したYogyaを意味し、Ngayogyakarta Hadiningratは繁栄したYogyaと最も重要なことを意味する。
別の資料によると、ジョグジャカルタという名前はサンスクリット語でラーマーヤナ叙事詩に登場する都市Ayodhyaから取られたものだという。
日常的には、ジョグジャカルタはジョグジャと略称で呼ばれる。
ジョグジャカルタの歴史
インドネシアが独立する以前、ジョグジャカルタはパクアラマン公国を含むスルタン国として、すでに統治の伝統があった。オランダ領東インド植民地時代には、独自の行政起源を持つ地域をZelfbesturende Landschappenと呼んだ。独立時代にはスワプラジャ(Daerah Swapraja)と呼ばれた。
年代 | できごと |
1755年2月13日 | ハメンク・ブウォノ1世(Hamengku Buwono I)となるマングクブミ王子によって、ンガヨジャカルタ・ハディニングラット・スルタン国(Kasultanan Ngayogyakarta Hadiningrat)が設立 独立時の文書 |
1755年10月9日 | Keraton(王宮)の建設を開始 |
1756年10月7日 | 宮殿の建物が完成し、政府の中心がガンピン(Gamping)からKeraton(王宮)に移された。 |
1757年 | ジョグジャカルタとスラカルタの領地分布 |
1811年 | イギリスがオランダ領東インドを征服。 イギリス軍が宮殿を攻撃(Geger Sepoy事件)。 |
1813年 | 1813年にジョグジャカルタは再分割され、設立されたパクアラマン公国(Kadipaten Pakualaman)は、後にアディパティ・パク・アラム1世(Adipati Paku Alam I)と称されるノトクスモ(Notokusumo)王子(ハメンク・ブウォノ2世の弟)によって設立。 スルタン国もパクアラマン国も、オランダ東インド政府によって、独自の家計を管理する権利を持つ王国として承認 |
1912年 | 王宮(Keraton)の当主であったKH Ahmad Dahlanによってイスラム教の組織”Muhammadiyah”が結成 |
1942年3月6日 | 日本軍のジョグジャカルタ占領開始。 元々オランダ政府が占拠していた政府庁舎を占領。 |
1945年8月19日 | インドネシア共和国大統領からのハメングク・ブウォノ9世とパク・アラム8世の地位憲章。 |
1945年9月5日 | ハメンク・ブウォノ9世の委任状とパク・アラム8世への委任状の交付 |
1945年10月30日 | ハメングク・ブウォノ9世とパク・アラム8世への委任状の交付 |
1946年1月4日- 1949年12月17日 | ジョグジャカルタはインドネシア共和国の首都となる |
1949年12月17日 | インドネシア共和国の首都の地位をジャカルタに移す。 |
1950年 | ジョグジャカルタ特別州が設立され、旧ジョグジャカルタ・スルタン国とパクアラマン地方が含まれる。 |
1958年5月5日 | ジョグジャカルタ市議会が20人の議員で発足 |
ジョグジャカルタ特別州の州都であるジョグジャカルタは、闘争の街、文化の街、学生の街、観光の街など、歴史的にも多くの代名詞で表現される都市となっている。
『闘争の都市』とは、
オランダ植民地時代、日本植民地時代、そして独立を維持するための闘争の中でジョグジャカルタが果たした役割を指す。ジョグジャカルタはかつて、マタラム(イスラム)王国、ジョグジャカルタ・スルタン国、パクアラマン公国といった王国の中心地だった。
『文化都市』とは、
これらの王国の時代に現在でも保存されている価値の高い文化遺産と密接な関係がある。また、芸術と文化の多くの中心地とも関連している。今日広く使われているマタラムという言葉は、マタラム王国の栄光に対する誇りに他ならない。
『学生都市』とは、
インドネシアの教育界におけるこの都市の歴史と役割に関連している。ジョグジャカルタではさまざまなレベルの教育が受けられるほか、インドネシア全土から学生が集まってくる。
『観光都市』としてのジョグジャカルタは、
この州の観光面での可能性を物語っている。ジョグジャカルタはバリ島に次ぐ観光地である。この地域では、自然観光、歴史観光、文化観光、教育観光など、さまざまなタイプの観光が開発されている。